ayamiのブログ

幼少期に血小板減少性紫斑病→24歳の現在全身性エリテマトーデス治療中(^O^)

発病から現在まで②

初めての一人暮らしと、社会人経験は大変で、もしかするとこの東京暮らしの、自分では気づいていないストレスが今回、SLEを誘発した原因の1つかもしれないけど、その分たくさん学ぶ事があって人間として成長出来たので後悔はしてません(°_°)!

そして、なにより親のありがたみが分かりました😋!


そんなこんなで、東京暮らし中も2ヶ月に1回くらいのペースで地元に帰り定期検査をしていました!

が、、、、去年の6月頃から抗核抗体の数値がよろしくない(´・_・`)

また、当時から現在も付き合っている彼氏と結婚も意識し始め、結婚前提の同棲を始めるには、東京で一人暮らしだととてもじゃないけどお金が貯まらない(;_;)

という事で、一旦仕事を辞めて実家に戻りました(°_°)

そして、今年に入り抗核抗体の数値がそろそろ治療に踏み切る数値になり、3月4日から入院生活が始まり現在19日目です(p_-)


ただ、私の場合少し特殊なんだと思います(°_°)

それは元から血小板減少性紫斑病の定期検査のお陰で抗核抗体の数値異常に始めから気づいていた事(ま、今思えば血小板減少性も元からSLEの出だしだったのかも、、、)

SLEの方のブログとか読ませて頂いてると、皆さん何か症状があって、診察して、SLEだった!というパターンが多いみたいですが、、、


そしてなにより、私の場合、内臓疾患や関節痛など何もまだ起きていないんです。

症状としては、抗核抗体の数値異常と、脱毛、うっすらと顔に紅斑が出たけど治った。

不幸中の幸いかもしれませんが、痛いとこも痒いとこも何もないからこそ、一言だけ言わせて下さい(´・_・`)

入院生活、本当に本当に暇。

元々じーーーっとしてられない私には、ここが逆にストレスで(;_;)


3月4日から入院して、12日からプレドニン45mgを服薬開始!

もう少しで服薬開始から2週間!

プレドニンの量は、今も45mgですが先生に毎日、まだ退院しちゃダメですか? お家でじーっとしてるので1日でも早く退院させて下さい!と、ワガママばかり言ってる私(;_;)

先生もエラい患者もっちったな〜と思ってるんだろうけど、笑ってなるべく早くですね!頑張りましょう!って言ってくれてます(´・_・`)

どう考えてもプレドニン45mgは退院レベルでは無いみたいですが、もしかすると今週中には退院出来るかも😎!

ま、退院出来たとしてもしばらくは免疫が下がってるからプレドニン減るまで監禁生活だけど病院よりはマシ!!


ちなみに、私。

本当に入院して難病の治療してるの?ってくらい毎日、筋トレ三昧でございます。笑

とりあえず食事の前後は、かならず筋トレしています(^O^)

あと、昼間は院内歩いてきまーす!って嘘ついて、外へ脱走して30分は歩いてます(笑)

外出て良くなっても、筋力衰えて踊れなかったら悲しいから(;_;)

元気過ぎて、親も親友も彼氏もあまり心配してくれてないのが少し悲しいです😥笑

発病から現在まで①

血小板減少性紫斑病→小学5年生に診断

からの

全身性エリテマトーデス→現在の24歳に診断


まずは、病歴の経緯から、、、


小学5年生の時、どこかにぶつけたりした記憶がないのに異様にアオタンが出来てて、おかしいなー?くらいに思ってました(p_-)

その頃から、現在もですがヒップホップと舞祭りというダンスを踊っていて、ダンスの大会で遠征があったので、大会前に念のため病院に行ってみようという事で、病院でアオタンの症状を伝えて採血して、また1週間後に結果聞きに来て下さいという事でその日は帰宅(°_°)


ところがどっこい!

そこ時にはすでに、血小板6千にまで下がっていたのですヽ(;▽;)ノ

桁が違う!

正常な人の基準値が13万から40万!

後から、先生に言われたのが、あのままダンスの大会行って踊ってたら頭の血管切れて死んでましたよ(°_°)って、、、

危なかった😥


というわけで、入院して治療して、薬を飲まなくても10万前後の血小板を維持出来るようになり、半年に1回くらいのペースで定期検査をするというのを10年くらい続いていました!

その間も、血小板はある程度落ち着いたものの抗核抗体の数値が少しずつ上がってきているのが気になる、、、

という事で、何か他の病気の前兆の可能性もあるということ、日焼けや、過度の疲労などは病気の誘発に繋がることなど注意を受けて、中学、高校、大学と満喫しておりました🎵


が、、、本当に親のいう事を聞かないアホたれな私は、中学に入りタバコを吸い始め、高校生になれば、日焼けするなって言われてるのに毎日、日サロに通い、居酒屋のバイトと遊びで毎日帰りは遅くて、今思えば両親と姉には本当に心配しかかけていませんでした(p_-)


そして、大学を卒業して、東京で一人暮らしを始め、発達障害のあるお子様のダンス療育、ダンスのインストラクターとして就職して働いておりましたが、、、